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嵐(アラシ)は大野智、櫻井翔、二宮和也、相葉雅紀、松本潤から構成されるジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループ。所属レコード会社は、ポニーキャニオンからジェイ・ストーム(自社レーベル)へ移った。

メンバー
大野智(1980年11月26日 - )A型
櫻井翔(1982年1月25日 - )A型
相葉雅紀(1982年12月24日 - )AB型
二宮和也(1983年6月17日 - )A型
松本潤(1983年8月30日 - )A型

概要
1999年9月15日(日本時間では9月16日)ハワイ・ホノルル沖の船上にて“嵐”結成を発表。デビュー会見を行う。最初の構想では、メンバーは櫻井、松本、二宮の3人であったが、メンバー3人の意向により、大野、相葉の加入が決まり、現在のメンバー構成となった。このことは櫻井が、雑誌「H」の取材を受けた際のインタビューにて明らかになった。櫻井は、ジャニー喜多川から「ワールドカップのイメージキャラクターやらない?」と言われ、一時的なものだと思い、承諾。松本と二宮は、スタジオでジャニーズJr.のみんなでバレーをしている際、2人がたまたま最後までその場に残っていて、ジャニー喜多川の「Youたち、チョーうまいじゃん!」の一言で決定。大野は、Jr.内で1番歌がうまいことから、「レコーディングを手伝って欲しい」と言われて行ったら、いきなり自分のソロがあったらしい。相葉に至っては、ハワイでの記者会見の3日前に、ジャニー喜多川から「You、パスポートある?」と電話で言われ、「あります」と答えたところ、3日後にハワイに行って、そのまま記者発表になった。櫻井、二宮、大野は、「デビューする事を聞いてなかったから、断るつもりだった」(HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMPより)

グループ名「嵐」の由来は「芸能界に嵐を起こす」という意味のほかに、頭文字が五十音でも最初の「あ」、アルファベットでも最初の「A」に来ることから「必ず一番になる」という意味が込められている。LOVELOVEあいしてるで、櫻井は、他にもいくつかあって嵐になったと発言している。「?(クエスチョンズ)」という候補もあった。名前の由来は、かなり曖昧で一時、Fiveに仮決定していた。あまり知られていないが、ジャニー喜多川は、1年以内にデビューさせる。もう、どの子かも決まっている。やはり、5人ぐらいがグループとして調度良いと思っている(光GENJIは、7人から5人へ、6人グループのSMAPが1996年、森且行が辞めたことも関係して)と仲の良い記者に語っていた。名付け親が木村拓哉といわれるが、広く知られたガセネタ。このことは木村自身がラジオ番組で明確に否定し、明らかになった(木村自身もそんなガセが出回っていることを知らなかった)。

グループ内の年齢差が3歳以内というのはジャニーズ内でも珍しい。ジャニーズの中で、デビュー時の平均年齢が最年少。ジャニーズ内でも仲のよいグルーブである。(V6マネージャーや本人談)プライベートで何回か旅行している。結成当時、じゃんけんでリーダーを決められた大野は、プレッシャーで、リーダーを1ヵ月交代でローテーションしようと言っていたという。(Mステでの本人談)HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMPで関ジャニ∞と仲が悪いと告白。櫻井翔が村上信五とオシャレな喫茶店でお茶していたら「マジでか~!?」と大声で叫び、めだって仕方なかったらしい。相葉いわく「横山裕は初対面からうさんくさいやつだった」。もちろん仲が悪いと言うのは彼らの冗談で、相葉は「これ見たら絶対お礼の電話かかってきますよ」と言っていたが、その後、相葉のほうから横山裕に電話を掛けたようだ。嵐はメンバー同士で誕生日プレゼントを渡しているが、2005年大野はもらえなかったという。だが、2005年11月26日の大野の誕生日は「まごまご嵐」ボート部の合宿中だったので、当日の夜バーベキューを終えた後メンバーとボート部コーチから舞台での役が描かれたバースデーケーキをもらい祝福された。このとき松本はドラマ撮影のためいなかった。

来歴
1999年11月3日、ワールドカップ'99のイメージソング『A・RA・SHI』でデビュー。デビュー日当日に代々木で行った握手会(嵐大集会)では、約8万人のファンが押しかけたとして話題になる。デビューシングル『A・RA・SHI』の初回出荷枚数は36万枚。曲が決定する以前から初回出荷枚数は決定済みであった。
2001年11月7日、ポニーキャニオンから自社レーベルジェイ・ストームへ移籍。
2002年4月16日、『ナイスな心意気』キャンペーンでアラシ株式会社入社式を行った(東芝EMI)。
2004年8月には、日本テレビ系『24時間テレビ 愛は地球を救う』の第27代メーンパーソナリティを務め上げる。
2006年1月2日(日本時間3日)に事務所の先輩東山紀之、森光子とともに相葉、二宮、松本がハワイ入りした。記者にインタビューされた時、東山にそそのかされた相葉が「先輩が走れって言うなら、走ります」とホノルルマラソン出場宣言をしている。
同年1月14日、メンバー櫻井のソロコンサートが開催。(ソロでは初めてのコンサート)だが最終日である2月4日の札幌公演は天候が悪く中止に。雑誌で「最近悲しかったことは?」と聞かれ「札幌のコンサートができなかったこと」と答えていたため相当悔しかったと思われる。
2006年1月29日、メンバー大野のソロコンサート、3月13日二宮和也がハリウッドにて映画の撮影を始めた。
同年4月25日、二宮和也がハリウッドから帰国。映画撮影が終了した。
2006年5月12日PIKA☆NCHI以来3度目の映画「黄色い涙」がクランクイン。
7月9日より全国ツアーがスタート。9月には初の海外公演も控えている。 
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